鍼っていつからあったの?―石から始まった東洋医学の奇跡

query_builder 2025/04/30
茨木_鍼灸東洋医学
鍼の歴史 石から始まった東洋医学の奇跡

「鍼って、いったいどれくらい昔からあるの?」
「なぜ細い金属の鍼を体に刺すだけで、不調が和らぐの?」

それは私たち鍼灸師にとっても、

ふと立ち止まって考えたくなる問いです。


そう聞かれて、パッと答えられる鍼灸師さん。
意外と少ないのではないでしょうか?


今や“鍼灸”をはじめとした東洋医学は
代替医療・統合医療の一つとしても
注目される存在ですが、
そのルーツをたどってみると――


なんと、始まりは
金属ではなく“石”だったのです。

今回はそんな鍼のはじまりから、
学問として確立されるまでの歴史を、
東洋医学の視点から紐解いてみたいと思います。

実は私自身も、
鍼灸師として臨床の場に立つ前に
「この技術って、誰が最初にやったのだろう?」

とふと思うことがありました。

鍼灸学校で歴史について大まかには触れるものの
そこまで掘り下げることはなかったのです。

学びを深めていくと、
それは単なる治療手技ではなく、
"時代の知恵と哲学が詰まった文化そのものだった"
ことがわかり、
一層、鍼灸及び東洋医学は面白いなと感じました。

この記事を読み進めていただければ、
あなたもきっと「鍼」の奥深さに

きっと驚かれることでしょう。

鍼灸学生さんや鍼灸師の方々も
復習になりつつも、
新しい発見があるかもしれません。

ぜひ、ご一読ください。


【鍼のルーツは「石」だった?】

鍼の始まりは、
なんと砭石(へんせき)と呼ばれる尖った石です。
紀元前3000年頃の中国では
この砭石を用いて体表を刺したり擦ったりして
皮膚を刺激し、膿を出したり、
痛みを和らげるなどの治療が行われておりました。
今でいう外科的な処置に近いのではないかと思います。

鍼灸の聖典である『黄帝内経』にも
「古の人は砭石を用いた」と明記されており、
これは鍼灸の最古の姿とも言えます。

現在では中国河南省の遺跡などから
「砭石」と思しき石器が発見されています。

『黄帝内経』で理論体系が確立される
『素問』『霊枢』という古典の中で、
鍼は気血・陰陽五行・経絡といった理論と結びつき、
治療体系として整えられました。

特に『霊枢』の「九鍼十二原篇」では
九種類の鍼(九鍼)が紹介されており、
刺すだけでなく、撫でる・叩くなど
用途に応じた器具が用意されていました。

例)
・鍉鍼(ていしん):皮膚表面を摩る
 「鍉鍼者.鋒黍粟之鋭.主按脈勿陥.」
・鋒鍼(ほうしん):刺絡(瀉血)に用いる
 「鋒鍼者.刃三隅.以発痼疾.」
・毫鍼(ごうしん):現代の細い鍼に最も近い
 「毫鍼者.尖如蚊虻喙.静以徐往.微以久留之而養.以取痛痺.」


これにより、鍼治療が「ただ刺す」だけではなく、
症状や体質に応じて使い分けられる
精緻な治療体系であったことがうかがえます。


【鍼は“学問”となった:漢〜宋代の進化】

後漢〜三国時代(25年〜280年頃)には、
張仲景(ちょうちゅうけい)や
王叔和(おうしゅくか)といった名だたる名医の登場により、
脈診や方剤と鍼灸の融合が進行しました。

『脈経』を著した王叔和は、
病の診断における脈診の重要性を説きました。

この頃には、当院でも大事にしている
四診法(望・聞・問・切)と
鍼灸の統合が進んだことで
東洋医学の診断学として
完成度が高まっていきました。

唐〜宋の時代(618年〜1279年)には、
国家医療機関である太医署によって
鍼灸が正式に教育され、
『銅人模型(現在の経穴人形の原型)』まで作られ、
穴位(ツボ)教育に使われました。
鍼灸の書籍としては
『銅人腧穴鍼灸図経(どうじんゆけつしんきゅうずきょう)』

が有名ですね。
今では現代語訳も出版されています




この頃に体系化された鍼灸理論と教育モデルは、
日本や朝鮮、ベトナムなどの周辺国にも影響を与え、
東アジア圏における共通の伝統医学の礎となりました。

こうして見ると、
鍼はただの民間療法ではなく、
数千年の歴史を持つ叡智(えいち)だということが分かります。

鍼や灸が身体に及ぼす影響について、
科学的に解明されているものもあれば
ツボの効能など、まだ解明されておらず、
科学的に説明が難しいものもあります。

そういった意味では、
科学がまだ歴史的な伝統医学に
追いついていないと言えるでしょう。

もしあなたが今、

身体の不調やストレスで悩んでいるのなら――
この東洋の知恵に一度、

身を委ねてみるのも一つの選択肢かもしれません。


【まとめ】

本記事では
以下のような流れで鍼が
発展していったことがわかったかと思います。


  1. 石器(砭石)を使った外科的治療から始まった
    →「治療は“刺す”というより“膿を出す”目的に近かった」
  2. 三国時代に経絡理論・九鍼・四診法は確立されていた。
    →現代のツボ治療の原型がここで完成
  3. 国家主導の医学体制となり公的な医術として地位を確立した。
    →鍼を用いた治療は正式に医術であると認められていた。


この過程で鍼は単なる「道具」から

「学術体系」へと昇華され、
現代に続く鍼灸医術の母体が築かれました。

鍼は数千年の歴史を持つ叡智であり、
現代の科学でも解明されていないが確かに効果がある

ということも事実です。

さて、次回は、


「鍼灸がどのように日本に伝わり、独自の進化を遂げたのか?」


について深掘りしていきます。

江戸時代の「管鍼法」や
明治以降の鍼灸排斥と復興――
古代から続く鍼灸の旅路は、

今も私たちのそばに生きています。


次回も、あなたとその歴史をたどっていきましょう。

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鍼灸 縁庵

住所:大阪府茨木市永代町6-19 近藤ビル402

電話番号:090-3890-4915

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